2014年6月6日金曜日

本を書く (25) 丸谷才一、大野晋、谷崎潤一郎 (書評197)

「谷崎・文章読本」には、既にして肯んじるべき優れた指摘が幾つもある。例えば冒頭では
「最も実用的なものが、最もすぐれた文章であります」
と喝破している。分かりやすく書け、ということだ。「異を立てるな」とも。

作文を難しく考える向きには
「日本語には明確な文法がありませんから、それを習得することは甚だ困難」
と、突き放し目を洗わせている。

「できるだけ多く(良い文章を)読むこと」
は、まあ「それしかないのかな」と私も思う。

「饒舌を慎み」「剰りはっきりさせようとせぬこと」と、『陰影礼賛』の著者らしいことも谷崎は指摘している。それらの主張は、前述の「分かりやすさ」と矛盾するように聞こえる。しかし「分かりやすく」としたのは私山田が書き加えた解説なので、谷崎主張は「実用的な中で、剰りはっきりさせようとせぬこと」と繋がるのだろう。

そんなことは難しいことではないか?と思われる読者もいるだろう。そう、文章を書くということは難しいのだ。

そんな大谷崎、私に言わせるところの日本文学史上で三大天才である大谷崎が『源氏物語』を三度も現代語訳している。それについて大野晋先生が、私が出ていたクラスで話されたことは、、、

(この項 続く、 しかし飛び飛び)